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時を超え安藤昌益先生をたずねて
「時を超え」とは言うものの,つい先ごろとも思える十八世紀の初め,安藤昌益は大館近郊の二井田に生まれた。謎の多い北東北の思想家の語る言葉に日々耳を傾けてみる。(管理人判断でコメント等は随時削除)
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土の気は天の中央に鎮座して
「然シテ自然ノ中真気,全ク中居ニ凝リテ不転・不動・常中ニシテ無始無終ニ鎮座シ,不去・不加・不往・不来,是レ転ノ運回無止ノ気中ニ真ニシテ、其ノ根帯ヲ主ル神気発機ノ妙主ナリ。故ニ自然ノ初気ハ此ニ発リ,間息有ルコト無シ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-351)

 そういう九層の天体の中心に「土」の気はあって,それは天の中央に永遠に「鎮座」しているという。そして,それは生命体をはじめとする万物の根源である。
 そこには,宇宙の根元をつかさどる「神気発機ノ妙主」が居り,そこでは自然万物を産み出す「初気」が,絶え間なく起こり続けて止むことがないという。 
  
 「妙主」という用語からして,擬人的あるいは「擬神的」な表現であり,自動的に生み出されては消滅し続ける機械論的循環運動のようには受け取れない。
 少なくともここには,「中真気」という「妙主」の存在が前提されているわけであり,それは唯一の真実とされている「土」の生産的な働きが重ねられている。
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【2018/09/02 07:48】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
宇宙を目の前に見える世界の延長として
「転ノ限収ハ,無星宗統転ナリ。是レ乃チ金気ノ堅収・清光・浄健ニシテ,第一ノ月転ニ
対シテ九転ニ当ル。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-350)


 天体の一番外側には「宗統転」という星が無い層が,天体全体を拡がり覆っている。
九層というのは,「一土」をもとにして月から始まり,水星,金星,太陽,火星,木星,土星恒星,と続いて最後に来るのが「宗統転」で,これが九層目に当たる。

 このような地球中心と言うか,「土」中心の天体観を披露されて,火星に人類が行こうかという今の時代からふり返って思うのは,「宇宙の果て」へのしっかりとした視線である。ここで目の前に見ている世界の延長として宇宙を構想するという,その一点からすれば”科学的”とも言える視野のようなものである
【2018/02/12 16:51】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
月と太陽を対等に見れば
「然シテ日輪ハ進気表ニ主リ,金水ノ退気中ニ伏シ,月輪ハ金水ノ退気表ニ主リ,木火ノ進気中ニ伏ス。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-349)

 太陽の表面は「進気」が支配していて,つまり木と火の気に満ちている。
 一方,月の表面は「退気」が支配していて,こちらは金と水の気に満ちているという。 しかも,太陽と月とは表面と内側が裏腹になっていて,太陽の内側には退気が満ち,月の内側には進気が満ちている対照的な構造とされている。

 今日的な天体の知識からすれば,ここに述べられていることは荒唐無稽そのものであるが,そう言って済ませられるほど単純な話ではない。
 月も太陽も見た目の大きさはそう変わらないし,昼と夜を支配する二つの光源として見るならば,月と太陽をこのように把握するのも理解できるからである。
 江戸時代という比較的近い時期の文献を読むとき,現代科学の常識に近い論述にばかり(科学の先駆者的)価値を見出そうとすれば本質を見誤ることになる。
【2018/01/09 23:13】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「太陽」は天球のエネルギーの根源
「初照・終滅ノ期有ルコト無ク,無始無終ニ照光シテ定ヨリ第四転ニ凝見シ,転回シテ人・物生ノ統主タリ。是レ日輪ナリ。是レ転ノ進気ノ精神ナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-349)

 「無始無終」と言えば,誰もがすぐに連想するのは太陽かもしれず,「自然真営道」の中でこれまでそれほど太陽が登場しないことが不思議と言えば不思議だった。 
 この箇所では,太陽が海から出て「第四転」まで上昇し,大きくその輝きを地上に及ぼしてあらゆる生きとし生けるものの力の源となる旨が述べられる。

 昌益の自然観の中で「太陽」は,天球の”進気”をもたらすエネルギーの根源という位置付けを与えられているが,それに対する「照光」「日輪」「精神」というような最大級にテンションの高い漢語表現がここでは印象に残る。
【2017/10/23 08:53】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
人為的なものから離れた
「此ノ真,無始無終ニ自リ感ズルニ此ノ妙徳・妙用ヲ具フ。行ヒ行フテ無窮ナリ。是レガ真自リ転定ヲ営ムナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-347)

 こうして読み進めていてなかなかイメージが湧いてこないのだけど,「真」というのはそもそも何を指しているのかということである。
 
 これまでも繰り返し書いてきたように「行ヒ行フテ」とか「自リ」とか,表現そのものは擬人的な言い回しが多い。
 しかしながら,文脈から来る意味合いからすると,それは「自然の中に潜むエネルギーの源」とでも言えばいいのか,人為的なものから離れた無機的な何かである。
【2017/07/31 10:15】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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安藤昌益の言葉を日々少しずつ聞き取りながら,その真に意味するところについて,自ら問いかける試みを続けてみます。

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