時を超え安藤昌益先生をたずねて
「時を超え」とは言うものの,つい先ごろとも思える十八世紀の初め,安藤昌益は大館近郊の二井田に生まれた。謎の多い北東北の思想家の語る言葉に日々耳を傾けてみる。(管理人判断でコメント等は随時削除)
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「妙行」というのは
「故ニ万事・万物妙行ヲ尽ス,唯一物・一事ナリ。故ニ転定ハ五行・進退ノ一気ニシテ無始無終ノ一体ナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-343) 

 ここに顔を出す「妙行」の一語には,注意を払う必要がある。 
「妙」の一文字が出てくる文脈では,いつも一言で分かりやすく語ることが難しい動き・構造について語られているからである。(昌益先生が若い頃に禅寺で修行したことで,「妙」の文字に馴染みがあるというわけではないと思うのだが。)

 さて,ここでは「動き・構造」という点が肝心で,これは訳に書かれている「絶妙な」という形容詞一語では表し尽くせない意味が込められていると思う。
 文脈から考えれば「妙」を用いるときには,もっとはっきりした動き・構造をイメージしていたはずだ,と考えている。
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【2017/02/12 18:20】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
比類無い世界像に
「定外ノ転ハ回リテ大ニ似レドモ,五行ノ進退ナリ。転中ノ定ハ止マリテ小ニ似レドモ,五行ノ進退ナリ。故ニ転定ハ五行・退進ノ一気ニシテ,大ニ似ルハ気ヲ主リテ軽ク,小ニ似ルハ形ヲ主リテ重ク,軽キハ木火ノ進気,重キハ金水ノ退気ニシテ自リ然ルナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-343)

 海の外を取り巻いて廻っている天空は木や火の「進気」が支配しているために軽いし,天空の中で小さく固まっているように見える海は金や水の「退気」が支配するから重いという。それら両者は結局,五行の進退運動がそう見えているだけのことで,天空と海は元来一つである。 
 天空も海も「五行・進退ノ一気」とすることで,この世界すべてが同じ一つの物質による一つの運動に帰するという究極の一元論を唱えている。

 ここで述べられている世界像は限りなく無機的かつ合理的なものであり,その世界像だけを取り上げれば,西欧近代の自然科学者たちが指し示した機械的自然観とほとんど変わらないように見えるのも確か。
【2016/12/08 20:22】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
転と定の相互互恵関係?

「木火ノ転気運回スルニ金水ノ健・玄ノ木具ハル,是レ転中ノ定ナリ。金水の定形止静スルニ木火・発動ノ木具ハル。是レ定中ノ転ナリ。土ハ之レヲ就革シテ全ク五行ノ一体ナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-343)


 大気の中を運回して止まない木と火の気の中に海の気である水や金の気がしっかりと備わって静かな安定をもたらしているし,水と金がその姿を現している海の中にも動きをもたらす木と火の気が備わっている。
 つまり,動いて止まない転の気の中には安定志向の定が備わり,静止しているように見える定の気の中には動きをもたらす転の気が備わっているということになる。
 
 そういう相互互恵関係にある(日中関係みたいに?)転と定を仲介し,時間的にも空間的にも,さらには領域的にも質的にも細部を区別しながら全体を統合しているのが「土」だというのである。
【2016/11/21 20:06】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
人の身体は土をもとに生きるから
「人倫ハ勿論土ヲ食着シテ生ク。其ノ体,気ト水トノ中ニ居ッテ真ナリ。故ニ土ハ転ニ非ズ定ニ非ズ中五ニシテ,小大ノ進退ハ行ナリ。此ノ故ニ五行ハ転定ノ全体ナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-342)

 人の生活は,どんなに贅沢で豪奢な生活に見えようとも,食べるものも着るものもすべて土から得られるもので成り立っていることには変わりはない。
 また,(これまで述べてきたように)土は大気と水の中間にあるから,人の身体も大気と水との中間に成り立っていることになる。

 このように,「土」を生きとし生けるもの全ての源として海と大気の真ん中に置くという構図で、昌益先生は独特の「大小進退五行説」を思い描いている。
【2016/09/08 07:19】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
論語のような用語に
「故ニ転気ニ応ジ定水ニ感ジ、中立シテ偏ラズ転定ヲ平均ス。転定ノ神ハ中真ニシテ忠ト云フハ是レナリ。其ノ心ヲ中ニスル土ノ中真の徳ノ言ナリ。」(刊本自然真営道 巻一 農山漁村協会版21-342)

 ここで「忠」とか「徳」とかという論語によく出てくる概念が持ち出されるのは,やや意外と言えば意外であろうか。
 「忠」の字は,天地の「神」が中正を保つ意味で使われている。
 「徳」の字は,「土神」が偏りなく万物を中正に整えるほどの意味で用いられる。

 このへんの用語に物活論の匂いがすることは否めないものの,昌益先生といえども儒教的な思考から抜け出せなかった名残とも言えようか。
【2016/06/08 21:53】 | 日本思想 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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安藤昌益の言葉を日々少しずつ聞き取りながら,その真に意味するところについて,自ら問いかける試みを続けてみます。

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