「故ニ文字書字,予之を預カラズ。故ニ予ニ師ナク習ヘ無ク自備自知ナリ。」(大序巻 17-27) 本や文字というものを一切信用しない,と言ってのけることは難しい。そう言っている本人が,その決意を文章に書いて本にしている場合が多いのだから。昌益の場合も全くその通りで,まあ,書くことを否定する内容を書くという堂々巡りにもなるし,結局は中国の易経や道教などの概念を利用し修正して自説を押し立てていることにもなる。
それでも書字否定を宣言し,師も無ければ弟子も無いという徹底した物言いをしてしまうのは,昌益がよほど自説の正しさを実感できていたからだろうと思うし,それともう一つは,炉や顔という常人には想像もつかないものに思想の糧を求めるという思考法から何かが見えている自信があったからだろうと思う。